"愛って何だ" 映画:her/世界で一つの彼女

映画:her/世界で一つの彼女見ました。それについての感想を書きます。
見終わってすぐなんですが、何とも言えないはっきりしない感情です。

※ネタバレ込みで書きますので注意を

 

 

形がないこと

この映画で一番言いたかったことは、"自分の中の経験や記憶を踏まえて、相手との対話の仕方は変わる、そこにある相手が変わる"といったようなことだと思います。わかりにくいけど。

人口知能OSのサマンサはサマンサであって他の何でもないですが、そのサマンサを認識していたのはセオドア。彼自身が認識していて、その認識しているということは彼自身にしかわからない。彼女が今どうあって、なにを考えているかはわからない。結局普段の私たちも相手が何をしていて何を考えているのかはわからない。自分があってその対話の中に相手はいて、形成されていく。相手を知って自分の中に相手が作られていく。

後半のOSグループがどうのーって部分はすごく複雑というか、寂しくもありましたね。どんどん自分との歩幅が合わなくなっていく。でも人間同士でも相手がいつも同じようにいるなんてことはありえないし、自分と歩幅が一緒だということでもない。人間と人工知能の境目、何を持って人とするか恋人なのか。サマンサは結局彼にとっての何だったのか。愛するということには何が必要なのか。結局何かと向き合うっていうのは自分次第なのかもしれません。自分がどうしたいのか。どうありたいのか。また、恋愛っていうものの考え方でこの映画をどう思うかもすごい変わりそう。視点がちりばめられていて、自分がこうだって思う部分とかをすごく見てしまいそうです。見た人のいろんな意見を聴きたくなります。

 

最後に去っていきますが、去っていくことがOSにはありなさそうに感じて、人間らしさみたいなものをすごく感じるようになってると思います。普通コンピュータだったら自分に最適化されて、離れていくなんてありえないですからね。でも、去って行った。理由はなんとも理解しがたい部分はありますが、去らざるをえなかったのか、それともサマンサは彼のことを思ってその結論に至ったのか。人口OSたちがどこへ行ったのか、何をしに行ったのか。でもきっとそれは大事な部分じゃないんですよね。彼女とセオドアがどうあっていて、何が大切にされていたのか。そして最後にサマンサが何を考えてその行動をしたのか。きっとこれはこれ!っていう答えはなくって、だからこそそれを見た人がどう思うのか、セオドア自身がどう受け取るのかが全てなんじゃないでしょうか。何じゃそれ。でもサマンサが彼を思って、彼のために去ったと考える方が美しいような気がします。最後にどう終わるんだろうと思ってたんですが、考えさせられる終わり方でよかったなと思います。結構余韻がすごい。最後までハッピーに暮らしていきました、で終わっちゃちょっとね。

 

ちょっと予告見たんですがどうもこれ翻訳で結構変わってそうなそうでないような。どうなんだろう。

 

 

将来

実際に今後人工知能が開発されていくとどうなるんでしょう。IT関連を勉強している自分にとってすごく興味深い映画です。地味に音声UIでほとんどのことをしていましたが、今後デバイスはあのような形になっていくのか、とか。日本じゃ音声認識ははやらなさそー笑